キッチンの物置スペースにずっと置きっぱなしになっていたこのカゴ。長い間、ただのカゴぐらいにしか思っていませんでした。というより、その存在さえも実は忘れてしまっていたのですが・・。
昔の東城町(広島県庄原市東城町)の暮らしぶりをまとめた本「東城町史 民俗資料編」の中に書かれていた、この一文『洗い終わった食器は、ソーキやメゴに伏せて水を切り、ふきんで拭いて、めいめいの箱膳におさめました。』
そして、その説明につけられていた写真を見ると・・・、
あれっ、このカゴは、もしかして。
そうです!物置で忘れられていたこのカゴは、昔の食器水切りラック、『メゴ』だったのです!
それを知って、さっそく物置から出してみました。すると、なんだかよく見えてくるから不思議。
ちゃんとした名前のあったカゴ『メゴ』、おばあちゃんが使っていた台所用具『メゴ』。
今の暮らしにどう取り入れるのか、使い方をいろいろ考えると楽しくなります。
これからはしっかり使って大事にしようと思ったのでした。
そして、もうひとつの気になるワード「箱膳」とは
昔は、家族が一緒に大きなテーブルを囲んで食事をするのではなく、1人ひとりがそれぞれ箱膳というものを使っていました。
箱膳とは、1人分の食器を入れた箱型のお膳のこと。ふたを裏返して箱の上にのせると小さな「ポータブルマイ食卓」になります。
箱膳のころの「台所洗い物事情」
箱膳を使って食事をしていたころには、食事のたびに食器を洗うということはしなかったそうです。食事が終わると食器にお茶を注いで、漬物できれいにゆすいでから、そのまま箱膳にしまっていました。
箱膳で食事をしていたころは、3日~4日に一度だけ食器を洗っていたそうです。(1週間~10日に一度ということもあったそう!)
今だと衛生面は大丈夫?と心配になりますが、水の節約にもなるし、家事の手間も省けてまさしくエコです。
食器を洗うときには、茶碗や湯のみなどの陶磁器は、普段は水かお湯で洗い、油分や茶渋がついた場合は灰をつけて洗っていました。また、夏の晴れた日には、大きな釜や鍋に木灰の灰汁を入れてお湯を沸かし、その中で普段使う食器をまとめて煮沸消毒していたそうです。
そして、食器を入れておく箱膳は、湿っているとカビが生えやすいので、普段は洗わず熱湯で絞った布巾で拭いていただけでした。箱膳は年に数える程度しか洗わなかったそうです。
東城町小奴可(広島県庄原市)では、「七月のななかび(旧暦の7月7日)には箱膳を洗うもんだ。」といって、旧暦の7月7日に洗っていたそうです。
箱膳が使われなくなったほんとのワケとは
この地域(庄原市東城町)で箱膳を使わないようになったのは、早いところでは昭和20年代。
これは、軍隊から帰ってきた男性が軍隊で食事のたびに食器を洗うことを経験し、食器を洗わずにしまうのは不衛生だと、家に帰ってから家族に箱膳をやめさせたケースが多かったから。
さらに、地域の多くの人が箱膳を使わなくなったのは、昭和30年代のことだったようです。
その理由は、ユリイ(いろり)をふさいでこたつをする家が増え、こたつの上に板の台(こたつ板)を置いてそれで食事をするようになったからだそうです。夏も、こたつ布団だけ外して、やぐら(こたつの枠組み)とこたつ板だけ残して食卓にしていました。
(ちなみに、日本の都市部でちゃぶ台の割合が箱膳を逆転したのは、昭和元年ごろだといわれています。)
こたつが家に置かれるようになったことと、食事の様式が変わることがまさか繋がっていたとは・・・。
生活スタイルが変わることは、食のスタイルが変わること・・・、昔の暮らしのいいところは、今の暮らしにも繋いでいきたいですね。
参考文献:『東城町史 自然環境考古民俗資料編』(東城町 1996年)
by RIE KIKKAWA